2014年1月6日月曜日

兵庫 豊岡市、但馬の小京都、出石城下を訪ねて

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➛ドライブ旅行、2日目は城崎から出石へ移動・・・。出石町は、旧出石藩の城下町で、現在も残る風情のある町並みは、但馬の小京都と呼ばれています。
写真の「おりゅう灯篭」は、出石川の支流谷山川の大橋のふもとにあって、船着場だった頃の昔の面影を伝えています。このあたりには蔵屋敷や塩蔵が並んでいました。
➛おりゅう灯篭
➛オススメ動画 出石〝但馬の小京都〟を散策

兵庫 豊岡市、出石城下(出石城本丸跡 おりゅう灯篭 辰鼓櫓)
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空から街並み拝見(Google Earth)

➛出石城跡は、山名氏の最盛期、但馬国守護となった山名時義が、出石神社の北側の此隅山に、此隅山城(このすみやまじょう)を築きました。此隅山城は長らく山名氏の本拠でしたが、1569年(永禄12)の織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城しました。
➛出石城登城橋

本丸西隅櫓

➛本丸西隅櫓

➛本丸跡

➛稲荷神社は、157段の石段に、37の朱色の鳥居が立ち並ぶ稲荷参道を登りつめたところにあります。ここからは出石町を眼下に一望することができ、この展望を利用して出石城の天守台と兼用していたようです。
➛稲荷神社参道

➛稲荷神社

➛出石家老屋敷の外観は平屋建に見えますが、内部には隠し階段が仕組まれており、2階建てになっています。 刀を使い難くするためか天井は低く造られ、屋根上への通路も存在し、これらは、襲撃に備えて造られたものと推定されています。
家老屋敷長屋門

➛出石家老屋敷は、出石城の内堀の近く、江戸時代後期の上級武士の居住区であった内町通りに面して当屋敷があります。 仙石騒動の中心人物の一人である仙石左京の屋敷跡に建つことから左京屋敷とも呼ばれます。
➛出石家老屋敷

➛伊藤清永美術館

➛出石名物、そば処

➛明治34年に開館し、歌舞伎や新派劇、寄席、活動写真など但馬の大衆文化の中心として栄えた永楽館が、平成20年に大改修を終えてよみがえりました。明治期に残る芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一のものです。
➛永楽館

➛永楽館桟敷

➛明治維新の立役者、桂小五郎が新撰組に追われ、1864年(元治元)広江孝助と名乗り、荒物屋を営みながら幾松婦人と出石に潜伏していました。いま、住居跡に記念碑が建てられています。
➛桂小五郎潜居跡

➛辰鼓櫓は、豊岡市出石の出石総合支所敷地(旧出石町役場、旧弘道小学校敷地)に現存する明治時代初期の時計台で豊岡市出石伝統的建造物群保存地区を代表する建造物です。櫓本体は1871年(明治4年)完成した、辰の刻の城主登城を知らせる太鼓を叩く櫓でした。
辰鼓櫓

➛辰鼓櫓

➛辰鼓櫓を背景に

➛出石は、街道口や要衝に多くの寺院を配置しています。経王寺は京街道の丹波口の守りで、1706年(宝永3)に信州上田から移封された仙石氏の菩提寺でした。山門の左手にある鐘楼は城の隅櫓のような形をしており、弓や鉄砲を打ち出す挟間(ざま)があいています。
➛経王寺

➛出石町辺りの史跡

➛明治25年、国の方針で兵庫県下に20軒の郡役所が建てられました。現在は3軒しか残っておらず、そのうちの一つが明治館で、木造の擬洋風建築の貴重な建物は町の文化財に指定されています。
➛明治館

➛出石町辺りの史跡

➛八坂神社

➛豊岡市立出石史料館

➛愛車のジャガー
➛出石の観光を終え、丹後半島の伊根の舟屋と、日本三景の天橋立を訪ねます。

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