2015年1月3日土曜日

東京 日本を象徴する史跡、皇居の景観

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➛以前は修学旅行を始めとするお定まりのコースでしたが、多様化する昨今は如何でしょうか・・・。数枚保存している記念撮影場所の「二重橋」は以前は木製の橋で、堀が大変深いために、江戸時代には橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたために「二重橋」と呼ばれていましたが、現在は鉄製になりましたので「正門鉄橋」が正式名称とのことです。
皇居正門石橋、奥に皇居正門鉄橋
➛オススメ動画 【皇室】 昭和59 [1984年] 春の皇居 (1:29:56) 【皇室】 昭和天皇大喪 1/3(1:52:47)

東京 日本を象徴する史跡、皇居の景観
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新 Google Map 東京 東京都 皇居 二重橋

正門石橋と皇居正門

➛正門鉄橋(二重橋)

➛二重橋の彼方に位置する伏見櫓は江戸城の昔の面影を伝える、わずかに残る櫓です。江戸城築城の第二期(三代将軍家光の時)の寛永五年(1628年)に京都伏見城から移築したものと伝えられ、別名「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と言われています。
伏見櫓

東庭から宮殿、長和殿を望む

➛坂下門

➛富士見櫓

➛桔梗門

➛「番所」とは、警備の詰所のことで、同心番所と百人番所、大番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。
百人番所

➛大手門は、旧江戸城の正門で、慶長12年(1607年)藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどで完成 したそうです。
大手高麗門

東御苑の二の丸庭園

➛平川門は江戸城の裏門、大奥に最も近いので、大奥女中達の出入りする通用門でもあり 、御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもあったようです。
太田道灌(どうかん)(1432~1486)のころからここに門が作られていて、当時、門の前には上平川村や下平川村などがあり、門の名前の由来になったそうです。
平川門

➛桃華楽堂

➛北桔梗門

➛江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。
天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44メートル四方、高さ18メートルで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。
しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。基礎石である石垣だけが残っていて、現在の石垣の高さは約10mです。
江戸城天守閣跡

➛本丸跡

➛宮中三殿

➛皇居

➛半蔵門

➛吹上御所

➛乾門

千鳥ヶ淵の桜

➛日本武道館

➛田安門

➛清水門

➛桜田門は寛永13年(1636年)に徳川家康が入府際に修築されました。
桜田門は2つの門からなり、第一の門(高麗門)、を通ると枡形の空地があり、右折すると第ニの門(渡櫓門)になります。 江戸見附様式で枡形形式の城門を構成しています。桔梗門の内桜田門に対し、この桜田門は外桜田門と言ってます。
桜田門

➛安政7年(1860)3月3日、勅許なく安政の仮条約に調印し、安政の大獄などで弾圧を行った大老井伊直弼(いいなおすけ)が、水戸・薩摩(さつま)の浪士らに桜田門外で暗殺された事件がありました。「桜田門外の変」
桜田門
皇居参観ガイド

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