2012年8月10日金曜日

奈良 1400年の伝統を誇る、法隆寺の景観

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➛法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇ります。飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として、その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている縁起文(747)によって知ることができます。
➛法隆寺には、1997/11、2003/4に訪ねていますが、随分と以前のことで写真も人物中心で古く、資料・写真は Wikipedia から引用しています。
➛法隆寺 西院伽藍
➛オススメ動画 法隆寺

奈良 法隆寺(金堂 五重塔 大講堂 夢殿)
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➛法隆寺参道

➛現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。
まず、南大門をくぐり正面の西院伽藍に向かいます。
➛法隆寺 南大門

➛西院伽藍の入口となる中門です。その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。
➛中門

➛中門から左右への回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。
➛法隆寺 回廊

➛法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。威風堂々としたこの建物の中には、諸像が安置され、天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊されています。
➛金堂と五重塔

➛塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。
➛五重塔

➛大講堂は、仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。
➛大講堂

➛三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、西室の南端部を改造して建てられました。
➛法隆寺 三経院

➛西院伽藍北西の小高い丘に八角造りの円堂があります。奈良時代に橘夫人の発願によって行基菩薩が建立したと伝えていますが、現在の建物は鎌倉時代に再建されたものです。
➛西円堂

➛聖霊院は、鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造した建物です。
➛法隆寺 聖霊院


➛大宝蔵院

➛「中ノ門」ともよばれる東大門は、西院と東院の間に建っています。かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。
➛東大門

➛舎利殿は、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。
➛絵殿、舎利殿

➛夢殿は、聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。
➛法隆寺 夢殿

➛東院鐘楼は、袴腰と呼ばれる形式の建物です。内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されており、中宮寺から移されたものといわれています。この鐘は、古くから舎利殿の舎利を奉出するときや、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として撞かれています。
➛東院鐘楼

➛中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接していますが、創建当初は400メートルほど東にありました。現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定されます。「聖徳太子建立七寺」の一とされますが、確証はありません。
➛中宮寺


➛中宮寺表御殿

➛Tags=Horyuji,Nara

2012年8月8日水曜日

福島 蔵とラーメンの街、喜多方と「SLばんえつ物語号」の雄姿

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➛妹夫婦と企画した東北旅行は、東京で一泊した後、郡山を経由して、一先ず、蔵とラーメンの街、喜多方に立ち寄り、町並みを散策することにしました。
JR喜多方駅(2002/10/26撮影)
➛オススメ動画 あなたの知らない喜多方物語 喜多方市

福島 喜多方市(会津北方風土館 喜多方蔵の里 新宮熊野神社)
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➛最近のJR喜多方駅の写真では、正面の意匠が少し変わっているようですね。
JR喜多方駅

駅前の観光馬車

➛喜多方市は、毎年100万人の観光客が訪れる観光都市で、かつて「北方」と呼ばれ、江戸時代には物資の集散地として、また若松城下と米沢を結ぶ街道に栄えた町です。喜多方市にはいまも2,600棟以上の蔵が広く分布しているとのことです。
重厚な蔵

➛何はさておき、まず、腹ごしらえに本場の喜多方ラーメンの店に向かいます。
全国的に有名な喜多方ラーメンは、札幌、博多と並んで日本の三大ラーメンのひとつに数えられ、関西でも喜多方ラーメンの看板を、よく見かけます。
喜多方ラーメンの店 坂内食堂

➛会津北方風土館は、寛政2年創業の老舗酒造で、無農薬・低農薬米と飯豊山系の伏流水を使い銘酒を醸造しています。風土館では、江戸・大正・昭和時代に建てられた酒蔵の見学や、試飲もできます。
会津北方風土館

会津北方風土館

甲斐本家蔵座敷

➛喜多方市美術館の建物は、蔵のまちの施設らしく、煉瓦蔵をイメージしてつくられています。建物の一部には地元喜多方で焼いた煉瓦を積み、こじんまりとした中にも落ち着きがあり、周りの町並みにすてきに調和しています。
喜多方市美術館

➛蔵の里は、店蔵、蔵座敷、穀物蔵、味噌醸造蔵など7棟と、旧郷頭屋敷や旧肝煎屋敷の曲がり家を移築し、かつての町並みを再現しています。
➛喜多方蔵の里

喜多方蔵座敷美術館(笹屋旅館)

喜多方にて

➛創業は宝暦5年という歴史ある味噌醤油醸造所「若喜商店」の敷地内の建物です。
若喜商店縞柿の蔵座敷

道標

➛日中線記念自転車歩行者道は、昭和59年に廃止された日中線の跡地を利用してつくられた公園内のサイクリングロードで、春には美しい、しだれ桜並木を見ることができます。
➛日中線記念自転車歩行者道

➛新宮熊野神社は、国の重要文化財に指定されている熊野神社長床(くまのじんじゃながとこ)と呼ばれている拝殿があることで有名です。現在は、長床のほか、熊野三社本殿、文殊堂、観音堂が残されています。
➛新宮熊野神社本殿

➛新宮熊野神社長床の建立年代は不明ですが、形式・技法から平安時代末期から鎌倉時代初期には拝殿として建立されたと思われます。
➛新宮熊野神社長床

➛SLばんえつ物語号の停車駅は、新潟駅 - 新津駅 - 五泉駅 - 咲花駅 - 三川駅 - 津川駅 - 日出谷駅 - 野沢駅 - 山都駅 - 喜多方駅 - (塩川駅) - 会津若松駅です。
SLばんえつ物語号

SLばんえつ物語号

SLばんえつ物語号を背景に

SLばんえつ物語号

SLばんえつ物語号
➛この後、会津若松市に移動します。

2012年8月7日火曜日

福島 会津若松 鶴ヶ城(若松城)と野口英世青春通りなど周辺

追記(2012/2/5)
➛「会津絵ろうそく祭り」が、この2月10-11日に開催されます。同じ日同じ時刻に、ろうそくに火を灯し、まち全体をろうそくで飾る行事、会津の冬の風物詩として、多数の観光客が来場します。
会津絵ろうそく祭り

➛会津絵ろうそく祭りは、会津若松駅・東山温泉・ 北出丸大通り(西郷頼母邸跡付近)・七日町通り(阿弥陀寺)・野口英世青春通り・大町通り・飯盛山・いにしえ夢街道(会津武家屋敷ほか)・その他市内各所でもそれぞれ趣向を凝らした絵ろうそくが灯されます。
会津絵ろうそく祭り

➛会津絵ろうそく祭り

福島 会津若松市(会津若松駅 鶴ヶ城 七日町 野口英世青春通り)
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➛2002/10/27、蔵の街、喜多方を訪ねた後、会津若松市に宿をとります。
鶴ヶ城の紅葉

鶴ヶ城にて

➛翌日、会津若松市のシンボル鶴ヶ城を訪ねました。
城の周りに広がる公園は、石垣や桜が美しい、市民にも人気の高いスポットとなっているようです。
会津若松城(鶴ヶ城)

鶴ヶ城

➛鶴ヶ城は、数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の戦役でも有名な城で、現在は、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開しています。
鶴ヶ城天守閣から眺望

鶴ヶ城の内部

鶴ヶ城天守閣にて

鶴ヶ城にて

鶴ヶ城にて

鶴ヶ城にて

鶴ヶ城跡の道標

鶴ヶ城周辺

➛鶴ヶ城周辺

会津葵本店

➛「野口英世青春通り」は、医学者、野口英世が15歳から上京する19歳ほどまでを過ごした街として会津若松市の通りに愛称を付けたもので、沿道には手術を受けた"会陽医院"の跡や洗礼を受けた"栄町教会"のほか、野口英世が初恋をしたとされる女性の生家の跡などが存在しています。
野口英世青春通り

野口英世青春通り

➛七日町通りは、現在の国道252号の野口英世青春通り西側からJR只見線七日町駅付近までを指し、江戸時代には越後街道、下野街道、米沢街道などが経由し、当時には問屋、料理屋、旅龍などが存在していました。七日町の名は、毎月七の日に市が立っていたことからとされています。
七日町通り渋川問屋

七日町通り渋川問屋

七日町通り渋川問屋

土産物店

会津若松駅 白虎隊士の像

会津若松駅