2010年4月15日木曜日

スイス 世界遺産、ヨーロッパ屈指の美しい都市、ベルン旧市街

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➛名所・史跡を投稿画像で紹介。
➛ベルンは、スイス連邦の首都で、チューリッヒ、バーゼル、ジュネーヴに次ぐ4番目の規模の都市です。相対性理論を執筆したアインシュタイン・ハウス、時計塔、大聖堂などが有名で、ベルン旧市街がユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されています。
ベルン旧市街
➛オススメ動画 「City of Bern」

➛ベルン旧市街

➛1191年にツェーリンゲン公ベルヒトルト5世が、アーレ川に囲まれた小高い丘という地形をいかしてニィデックに築いた砦にはじまり、13世紀に自由都市となり西側に向かって時計塔のところまで発展していきました。
時計塔

ベルヒトルト5世碑

➛その後、エリアを拡大、15/16世紀頃には、ヨーロッパ最長ともいわれるアーケードや各所に点在する凝った彫像が美しい水飲み場、荘厳な大聖堂などがつくられ、ヨーロッパ屈指の美しい都市となっていきました。
彫刻で飾られた水飲み場

➛寓話的な彫刻で飾られた16世紀の噴水群が、全ての広場や通り沿いに設置されています。
彫刻で飾られた水飲み場

彫刻で飾られた水飲み場
➛ストリートビューで歩くと、ベルンがヨーロッパ屈指の美しい都市であることが再認識されます。
水飲み場大聖堂

彫像

ミュンスターベルン(大聖堂)

ミュンスターベルン(大聖堂)

➛アインシュタインが特許庁に勤めながら自らの研究を進めていたベルン時代。1903年から、『光量子説にもとづく光電効果の理論』『ブラウン運動の理論』『特殊相対性理論』という偉大な発見の論文を1年間に3つも発表したことから”奇跡の年”と呼ばれている1905年までの3年間を過ごした部屋を、記念館として一般に公開しています。世紀の大発見が誕生した記念すべき場所に、彼の研究資料や手記などが展示されています。
アインシュタイン・ハウス





➛町がまた拡張した18世紀にも大規模に修復された旧市街は、中世の雰囲気を今に伝える見事に保存された歴史的な町並みであることに加えて、政治の中枢でもあるスイスの首都として現代都市の機能を兼ね備えて融合させている点もあわせて高く評価されています。
連邦議事堂

連邦議事堂の夜景

➛ベルン歴史博物館は、もともとスイス国立博物館(現・チューリヒ)の候補として中世の古城のイメージでつくられた荘厳な建物に約25万点のコレクションを誇る、スイスで2番目に大きな歴史博物館です。
ベルン歴史博物館

➛その半生をベルンで過ごしたパウル・クレー作品の約40%にあたる4000点以上所有する大規模な美術館です。
パウル・クレー・センター

2010年4月7日水曜日

京都 京都市 京都御所に見る平安時代以降の建築様式の数々

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➛今日から京都御所、春の参観が始まるとのニュースを見て、以前に拝観した際の写真を整理しながら、その折の風景に想いをはせています。
紫宸殿と左近の桜

京都 京都御苑(京都御所 京都迎賓館 仙洞御所)など
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Wikiloc ツアー一覧(後順)
空から街並み拝見(Google Earth)

➛京都御所は、1869年(明治2年)の東京行幸まで歴代天皇の居所・執務所でした。隣接して京都大宮御所、仙洞御所があります。
➛紫宸殿に据えられている高御座

➛現存の京都御所はもとは里内裏の一つで、土御門東洞院殿と言い、1331年(元弘元年、元徳3年)、北朝の光厳天皇が最初に使用した内裏でした。
御池庭

御池庭にて

➛主な建物としては、紫宸殿、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿、迎春、御涼所、皇后宮御常御殿、若宮・姫宮御殿、飛香舎などがあります。
建春門

➛即位の礼は代々京都御所の紫宸殿で行なわれ、明治維新の際に天皇が東京へ移ってからも、1889年(明治22年)制定の旧皇室典範により、即位の礼と大嘗祭は京都で執行すると定められ、大正天皇と昭和天皇も京都御所で即位に関わる一連の儀式を行いました。
紫宸殿

➛清涼殿は、紫宸殿の背後西側にある、東を正面とした建物です。入母屋造、桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸を使う点などは紫宸殿と共通します。本来は天皇の居所兼執務所でしたが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになっています。
清涼殿

小御所

御学問所

京都御所にて

京都御所にて

御常御殿

御内庭

➛建礼門は、御所正面入口の正門で、素木、切妻造、桧皮葺、柱間1間の四脚門です。天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみ開門されます。
➛京都御所の外側からの建礼門

2010年4月3日土曜日

京都 京都市 京都で一番桜の開花が早い、平野神社

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➛桜の季節、京都の名所、平野神社、白川、知恩院、円山公園など数か所を訪ねました。
➛平野神社

➛平野神社は、北野天満宮の近く(西北)に位置する神社で桜の名所で知られています。京都で一番桜の開花が早く(桃桜/魁桜)その時期は多くのメディアの取材で賑わい、満開時期は神社脇の桜園に多くの茶店が並び、花見の宴で盛り上がります。
➛平野神社

➛平野神社

➛平野神社のしだれ桜

➛しだれ桜

しだれ桜

➛平野神社は、延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まります。
平野神社 本殿

➛現在の社殿は江戸時代寛永年間西洞院時慶卿の造営です。一間社春日造の社殿を4つ並べ、2殿ずつを合いの間で連結するという独特の様式で、「比翼春日造」とも、社名より「平野造」とも呼ばれ、重要文化財に指定されています。
➛平野神社 本殿

➛平野神社

➛神紋は桜で、今も桜の名所として名高く、平安時代の中ごろ花山天皇によって境内に数千本の桜が植えられたのが起源で、寛和元年(985年)4月10日に臨時勅祭が開かれ、平野桜祭りとして今に残ります。
平野神社 魁(さきがけ)桜

➛平野神社 桜並木

平野神社 桜並木

➛平野神社 桜

2010年4月2日金曜日

東海道五十三次(日本橋 箱根 草津 三条大橋)1/2

➛編集中
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➛東海道五十三次は、江戸時代に整備された五街道の一つで、東海道にある53の宿場を指します。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。
➛歌川広重の東海道五十三次より「日本橋」
東海道五十三次

➛基点の東京都中央区の日本橋には、日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっています。
➛日本橋 道路元標

➛旧東京市道路元標が、1972年に橋たもとの「道路元標の広場」に移設され保存されています。
➛日本橋 旧東京市道路元標

➛東海道の第一宿、品川宿には、江戸時代、大名が宿泊する本陣が置かれました。明治天皇が休憩した行在所としても使われたことから「聖蹟」の名が残ります。
➛品川宿 本陣跡(聖蹟公園)

➛品川宿交流館は、品川宿を旅する人の休憩場所です。
品川宿交流館

➛第二宿、川崎宿の川崎・砂子の里資料館は、神奈川県川崎市川崎区砂子の、旧東海道沿いにある私立美術館で、川崎市観光協会連合会会長を努める館長・斎藤文夫の浮世絵コレクションが展示の中心となっています。資料館の外観は江戸町屋風の海鼠壁の建物で、約200年前の東海道川崎宿の復元模型も展示され、浮世絵を中心に毎月企画展を開催しています。
川崎・砂子の里資料館

➛第三宿、神奈川地区センター前に、かつて神奈川宿の瀧之橋のたもとにあった高札場が復元されています。
神奈川宿 神奈川地区センター高札場

➛浄瀧寺は、旧イギリス領事館でした。辺りには、甚行寺(旧フランス公使館)、本覚寺(旧アメリカ領事館)などがあります。
➛神奈川宿 浄瀧寺

➛第四宿、程ヶ谷宿は、東海道では武蔵国最西端の宿場町です。本陣は後北条氏の家臣・苅部康則の子孫が代々勤め、明治に軽部姓へ改称して現在も同地に居住しています。
程ヶ谷宿 本陣跡

➛程ヶ谷宿 問屋場跡

➛第五宿、戸塚宿は、日本橋から旅程がちょうど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模でした。大山道、鎌倉街道、厚木街道などと交差する要衝で、幕末の黒船来航の際には、避難民が逃げてきたといわれています。
➛戸塚宿 澤辺本陣跡

➛第六宿、藤沢宿は、東海道五十三次整備以前から遊行寺の門前町として栄え、後北条時代は小田原城と支城の江戸城、八王子城をつなぐ小田原街道の分岐点でした。
➛藤沢宿

➛遊行寺は、時宗総本山の寺院で、藤沢山無量光院清浄光寺と号します。代々の遊行上人が法主(ほっす)であるため遊行寺(ゆぎょうじ)の通称の方が知られており。藤沢道場ともいいます。
➛藤沢宿 遊行寺

➛白旗神社は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社で、白幡神社・白籏神社とも表記されます。多くは源頼朝を主祭神としますが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多く、社名は源氏の旗である白旗に因むものです。
➛藤沢宿 白旗神社

➛第七宿
➛平塚宿 脇本陣跡

➛平塚宿 平塚八幡宮

➛平塚宿 お菊塚

➛第八宿
➛大磯宿 小島本陣跡

➛大磯宿 地福寺

➛大磯宿 鴫立庵

➛第九宿
➛小田原宿 脇本陣古清水旅館資料館

➛小田原宿 なりわい交流館

➛小田原城

➛小田原 滄浪閣跡

➛箱根 成川美術館

➛箱根 旧街道杉並木

➛第十宿
➛箱根関所

➛箱根 遊覧船乗場

➛山中城跡

➛山中城跡茶店竹屋

➛第十一宿
➛三島宿 世古本陣跡

➛三嶋大社

➛三嶋大社拝殿

➛楽寿館

➛源兵衛川

➛第十二宿
➛沼津宿 沼津城本丸址

➛光長寺

➛千本松原

➛第十三宿
➛原宿 徳源寺本陣跡

➛第十四宿
➛吉原宿

➛第十五宿
➛蒲原宿 本陣跡

➛蒲原宿 西木戸

➛第十六宿
➛由比宿

➛東海道広重美術館

➛由比宿おもしろ宿場館

➛第十七宿
➛興津宿

➛清見寺

➛坐漁荘

➛第十八宿
➛江尻宿

➛清水の次郎長生家

➛梅陰禅寺 次郎長像

➛第十九宿
➛府中宿

➛駿府城跡

➛西郷・山岡会見の地

➛丸子宿は、東海道中でもっとも小さい宿場で、天保14年(1843年)の記録によると、家の数は211軒、旅籠は24軒であったといいます。
➛第二十宿
➛丸子宿

➛丸子宿の丁子屋は、1596年(慶長元年)創業のとろろ汁の老舗で、。「東海道五十三次・丸子」に描かれました。静岡市駿河区丸子7-10-10に現存しています。
➛丁子屋

➛第二十一宿
➛岡部宿

➛大旅籠柏屋

➛藤枝宿は、江戸時代、田中藩が志太平野の村々を治めたことから、藤枝は東海道五十三次の宿駅として上り下りの旅人でにぎわいました。
➛第二十二宿
➛藤枝宿

➛江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった下屋敷は、城の南東隅にあたり、築山・泉水・茶室も設けられて、四季の草花や月見の名所として知られていました。
➛田中城下屋敷

➛島田宿は、大井川の左岸(江戸側)にあるため、増水で大井川の川越が禁止されると、お伊勢詣りなどの江戸から京都方面へ上る旅客が足止めされ、さながら江戸のような賑わいをみせました。「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた、東海道の難所の一つです。
➛第二十三宿
➛島田宿

➛島田市博物館分館

➛川越茶屋そば処玄芭蕉庵

➛島田市博物館には、江戸時代の大井川島田宿の川越しをわかりやすく紹介する常設のほか、特別展を開催しています。
立体的な映像のジオラマビジョンで島田宿の様子を見ることができます。
➛島田市博物館

➛大井川川越遺跡は、江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台(れんだい)というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。その「川越し」の料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現したのが、この遺跡です。
大井川川越遺跡

➛大井川
➛金谷宿は、大井川の右岸(京都側)にあり、牧之原台地が迫る狭隘な場所ですが、増水で大井川の川越が禁止されると、江戸へ下る旅客が足止めされ、島田宿と同様、さながら江戸のような賑わいをみせました。
➛第二十四宿
➛金谷宿
東海道金谷宿マップ
東海道五十三次 島田宿(第二十三宿)~大井川~金谷宿(第二十四宿)の道のり